シュンシュンと、キッチンから聞こえてくる音で僕は我に返った。
「ああ、いけないいけない」
読んでいた医学書を机に置いて、慌てて駆け出す。
かちんと火を止めれば、ケトルの注ぎ口からぽこぽこと少しだけお湯が噴きこぼれていた。沸騰してからそんなに経っていないから、まだ大丈夫なはず。
「またやっちゃうところだったなあ……」
いつものことだけど、本を読み始めると周りが全く見えなくなる。常にこんな調子の僕は、お湯を沸かすことさえ心配されているほどだ。
器用な質じゃないんだから何かをやりながら危険なことはするなと、口を酸っぱくして言い聞かせられている。今日のことだって、ばれれば何を言われるやら。
思いながら口元に笑みが浮かぶ。磨き上げたキッチンのホーローが鏡のように口元を映し出して、それに気付いて一人で赤くなった。
「そ、んなことしてる場合じゃないってば!」
自分で自分にツッコミながら、手を伸ばしたのは丸みを帯びた白のティーポット。よく使うからこそ綺麗に、と気を遣っている所為もあって、ポットは午後の空に浮かぶ雲みたいにまっ白だ。
そこに元々入れておいたお湯を流し、出して置いた缶の蓋をぱこんとあける。
途端、ふうわりと香るのは、茶葉の香りにもうひとつ。
「……うん、やっぱりいい香り……」
小さく呟き、くん、吸い込んで。
僕は小さく笑みを浮かべる。

そのとき。


がちゃんと、鍵の開く音。
どかどかと一歩空けて階段を上がってくる足音に、やがて聞こえてくるだろう声を期待する。
「おーう。ただいまー」
ほら、聞こえた。
背後に響いたそれに、僕は笑みを深くしながら振り返った。
「おかえり。スパーダ」



「最近早いね。海上は今のところ問題ないの?」
「あー。ここんとこ何にもねぇな。海賊もでねぇし、平和なもんさ」
退屈で仕方ねぇや、と半目になってぼやく彼は、テーブルの上からサンドイッチを掴んで口に放り込んだ。
「ん、んま」
もぐもぐと租借して飲み込んで、にっかりと笑う表情は、年齢よりも相当幼く見える。もしかしたらあの頃から変わっていないようにも。
「お腹空いてるでしょう。まだあるからちゃんと食べてね。
あ、でも食べ過ぎはダメだよ。夕飯、食べられなくなっちゃうから」
「んー」
テーブルの上にあるのは軽くつまめるサンドイッチにスコーン、それからクッキー。
本当ならちゃんとお昼を食べさせてあげたいんだけど、昼食と言うには時間が過ぎてしまったため、軽いものしか出さないで置く。
その分、夕飯はちゃんと作るようにしている。
「スパーダ、聞いてる?」
「んあ?……ああ、聞いてるって」
嬉しそうに美味しそうに食べてもらえるのはこちらも嬉しいんだけど、健康管理の面から言っても、時間を決めてちゃんと食べて欲しい。
海上と陸上を往復する海軍将校である彼の、健康管理が出来るのは僕の密かな誇りだから。
判ってる?と視線だけで問いかければ、口に中のものをごくん、と飲み込んだ彼が、にや、と口元を持ち上げた。
「わかってるって。でも俺、お前の作ったモン残す方がヤだからさー」
もったいねーし。お前コミで全部俺ンだし。誰にもやりたくねーし。絶対やらねーけど。
何故か胸を張って言い放つ彼に、一瞬あっけにとられて、けれど。
「スパーダ!」
言われたことの意味を理解すると同時に、思わず声を荒げてしまう。
「ん?なんもまちがってねーぜ?」
にや、と笑みを浮かべる彼に、更に言いかけようとした言葉を飲み込む。
「……もう」
言っても無駄、と言うか、僕の負けなんだから、仕方ないか。
小さく溜息をついて、並べたティーカップへとポットの中身を注ぐ。
時間を計って蒸らして。

ふわり。
流れる香りは。

「……へえ」
すん、と息を吸い込むように香りを楽しんでいると、スパーダが声を上げた。
「珍しいな。これ」
「でしょう?今日、うちに寄ったら母さんが持たせてくれたんだ。
最近ようやくガルポスから入ってくるようになったんだって」
ほんわりと優しい花の香りがついた紅茶。
ガルポスは南国で、だからこそ強めの香りのものが多いが、中にはこういった柔らかなものもある。
強すぎず弱すぎず、けれども優しい香り。
花自体はレグヌムにも普通に売られているけれど、花の香りを付けた茶葉、というのは、やはり南国のものが一番なようで。
「僕、このお茶の香り、好きなんだ。
花の香りを飲んでるみたいで。
少しだけ砂糖入れると美味しいんだよね」
カップを傾けて小さく微笑む。
「スパーダ、いつもブラックティだけど、だけど、たまには少し甘くしてみたら?」
言って、シュガーポットを差し出す。
すると彼は僕とシュガーポットを交互に見つめて……にっこりと綺麗に微笑んだ。
「……だな、たまにはいいか」
「うん。美味しいよ」
本当に嬉しそうにそう言うから、伸ばした指先がシュガーポットを取るものだと思っていた。
けれど。
「え?」
その長い指は、シュガーポットではなくティカップに触れて。
白地に翠の絵柄のあるそれを優雅に持ち上げて、注がれていた紅い液体を飲み干したと思ったら。
「す」
ぱーだ、と続けようとした言葉が、そのまま彼に飲み込まれて。

ただ、触れただけの唇に、思考の全てを持って行かれてしまった。

「ん。こっちもんまいな」

すぐに離れた温もりに、残念とかそんなこと考えちゃいけないんだろうけど!
「な、な、な、な、な、」
なにをするの、と。
上手く言葉に出せない僕がただ同じ音だけを繰り返していると、くしゃ、と前髪をかき回されて。
「俺には砂糖よりお前の方が甘いからいいの」
なんて、言われてしまった。
「すぱ」
「用意してくれたもん、サンドイッチも紅茶もんまかったけど、やっぱ俺はルカがいちばんうまいわー」
かたん、と静かに立ち上がって、まだ混乱しっぱなしの僕に、彼は笑いかけて。
「もっかい海出てくるわ。んで俺明日休みだから。
メインディッシュ、期待してるぜ?」
額に軽く口付けて、鼻歌交じりに部屋を出て行く。

「……ばか」
僕がようやく動けたのは、それから数分経った後。
基本は律儀な彼は、いつのまにやら出した軽食の全てを片づけていったみたい。僕だったら全部は食べられないのに、お皿の上には何も残っていなかった。
ただ、僕の目の前のカップに、少しだけ紅茶が残っていて。

ふう、と息をついて、僕は自分のカップの紅茶を飲み干した。

「……あま、い」

まだ、砂糖は入れてなかったはずなのに。

一人、部屋に残された僕は。
唇に遺されたあり得ない甘さに酔って、少しだけ動けないままだった。



no suger?

Written By Hakuryu Ikusabe
In F・T
20080801

Special Thanks NOION(http://www.noion.jp/)

Spada*Ruca festival!



はーい。そんなわけで祭参加作品でしたー!
作品内での紅茶は「コクラン・エネ」のローズティです。ふんわりな香りが優しくて凄く好き!
関西でしか手に入らない逸品です。あああ、飲みたいかも……
「ED後で甘い雰囲気のすっかり同棲しているようなスパルカ」が書きたくて、勢いだけで書き殴りました反省。
はい。ED後です。何年後かは定かではありませんが、ルカは医者(駆け出しの町医者)でスパーダは海軍将校。
スパーダはレグヌム近辺の警備と護衛にあたっていて、陸に上がるときはルカの家(ルカは一人暮らし)に帰ってきます。
そんで一緒にごはんとかしてるといいよ!ルカは料理が上手くなればいいよ!スパーダの港はルカならいいよ!
……という妄想のままに殴り書きしました。うん、食いはないネタに関しての悔いはない!技術に関しての悔いはあるけどさ!
……つか、小説トップでもよかったんかね……?今更だけど。

と、そんな感じで期間限定TOPになります。
通常のPlanet Of Dragonにはこちらからどうぞ。
また、イノセンス(アビス?)特設会場はこちらから。
御感想などありましたらこちらからお聞かせ下さい。
ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!

戦部白龍

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